鰹節の歴史 History
土佐に始まり、全国へ広がった「土佐式製法」
鰹節の製法は、いまでは日本各地で行われていますが、その源流をたどると高知・土佐にたどり着きます。
印南漁民が行っていた熊野式新漁法が角屋甚太郎によって土佐へと伝わり、現在の土佐清水にて土佐カツオ漁業開発を行い、薩摩へも広まったとされています。
更に甚太郎は古くから太平洋の恵みを受けてきた土佐の地で工夫を重ね、熟成・焙乾・日干・カビ付けまでの工程を「土佐式製法」として確立させました。
この土佐式製法は、漁で得た鰹をすぐに釜茹でし、焙乾(ばいかん)と呼ばれる工程を何度も繰り返して旨味を凝縮させるのが特徴です。湿気の多い気候に合わせたこの方法は、香り高く、深みのある味わいを生み出しました。やがてその技術は、薩摩や紀州など全国の港町に伝わり、それぞれの土地の風土とともに発展していきます。
とくに薩摩(現在の鹿児島県)で名高い「薩摩節」や「枕崎節」も、もともとはこの土佐式製法をもとに改良されたもの。つまり、今日「日本の味を支える鰹節文化」の礎は、ここ土佐から広がっていったのです。
土佐の鰹節は、単なる保存食ではなく、“旨味を極める知恵と技の結晶”。
私たちはこの伝統を守り製造された鰹節を使用し、現代の食卓にふさわしい香りと味わいをお届けしています。
鰹節は縁起物
鰹節は「勝男武士」との語呂合わせから勝負運や出世を願う縁起物とされ、非常に堅く長持ちすることから家運隆盛や長寿を象徴し、また削って使うことから未来を切り開く意味も込められ、古くから神事や祝いの席で重宝されてきました。
また、製造工程ではまず身を3枚におろし、更に背と腹の部分に切り分けることで5枚となり常に奇数となることや、背側を雄節、腹側を雌節と呼ぶことから夫婦円満の縁起物ともされています。
森田鰹節株式会社